2019年11月6日水曜日

癌死大国日本の医療と処方箋

「癌死大国日本の医療と処方箋」
 ヒトは約37兆個の細胞を有し、その遺伝子は加齢と共に障害が蓄積されるので高齢になると癌を発症しやすくなる。今日では日本の高齢男性の約半数、高齢女性の1/3が癌に罹り、癌が死因の第1位となっている。発癌には癌遺伝子と癌抑制遺伝子が重要であるが、これらは細胞分裂でアクセルとブレーキの役割を担う遺伝子群である。その遺伝子に突然変異が蓄積してくると細胞の分裂を制御できなくなり癌化する。放射線、タバコ、アスベスト、ウイルス、細菌、及びストレスなど、DNAを障害する因子は日常の環境内に溢れている。
   体重が6トンもあるゾウはヒトの100倍もの細胞を持ち、ヒトと同様に70年以上生きる。しかし、彼らは殆ど癌に罹ることなく、動物園でも癌で死亡するは5%未満である。細胞の分裂回数や生死は癌抑制遺伝子P53、個体の大きさ、寿命などと関係している。この遺伝子はヒトでは2コピーしかないが、ゾウでは40コピーもある。これが1コピーのリ・フラウメニ症候群の患者では90%が癌に罹患する。この患者と健康人およびゾウのP53遺伝子を比較した結果、三者の放射線照射感受性は同じであるが、ゾウのP53は損傷した細胞を修復するよりも自殺させて排除する傾向が健康人より2倍以上、リ・フラウメニ症候群患者より5倍も強いことが解った。ゾウにも様々なストレスはあるが、喫煙や過剰摂取もしない彼らは癌予防と同時にDNA損傷細胞を排除する能力も優れており、これが癌で死なない主な理由である。
 日本人では癌が脳卒中を抜いて死因の1位となり、高齢者の2人に1人が癌に罹り、3人に1人が癌で死ぬ時代となった。2014年には約75万人が癌と診断され、2016年には37万人以上が癌で死亡している。癌で死ぬことが当たり前になった時代の高齢者は癌を不必要に恐れず、彼らと共存しながら人生の幕を引くことも大切である。癌は遺伝子が傷害されて発症する老化現象であり、典型的な生活習慣病である。長く生きるほど遺伝子の傷害が蓄積されるので、高齢になるほど癌に罹りやすくなるのは当然である。事実、50歳以上の日本人では年齢と供に癌患者数が著明に増加している。
   多くの場合、胃癌や大腸癌では治療後に5年経過すると再発して死亡する率が低くなる為、5年間再発しなければ治癒したと見なされる。しかし、治療後5年を過ぎて再発するか否かは癌の種類によって大きく異なる。例えば、乳癌では5年経過後も再発して死亡する例が多く、何時までも再発しうる癌である。癌患者の生存率には「実測生存率」と「相対生存率」があり、前者は癌以外の死因も含むために治療法の評価には相対生存率が用いられている。癌の全部位および全臨床期の10年相対生存率は癌の種類により大きく異なり、胃癌では69%、大腸癌では70%、乳癌では83%、肺癌では33%、肝癌では15%である。
   癌で死亡する患者数は世界的にも増えているが、その多くは発展途上国である。欧米先進国では癌は毎年約5%程度減少しており、先進国中で癌患者が増え続けているのは日本だけである。他の先進国と比較して日本での高齢化速度が著しい事が癌死亡率増加の主因と考えられている。しかし、1位の日本と2位以下の欧米先進国での平均寿命の差は僅かなものであり、日本のみで癌患者が増加している主因は他にあると思われる。
 日本の国民皆保険制度は世界でも類を見ず、米国の医療制度などと比較しても如何に優れた制度であるかを実感させられる。一方、日本の医師は病気の診断や治療には関心が深くて熱心であるが、多くの医療現場には構造的な問題がある。手厚くて安い医療費が受診に対する患者の心理的ハードルを著しく低くし、特に症状も無いのに不安感から医療機関を訪れる患者も少なくない。その為、CT, MRI, PETなどの高額画像診断機器による癌検診も日常的になっている。ちなみに、日本の人口は世界の僅か1.8%であるが、CTなどの最先端画像診断機器の保有率は日本がダントツ1位であり、世界の約30%もの高額診断機器が集中している。これは極めて異常な現象であり、高額の診断機器を頻回に使わなければ病院は経営が成り立たずに赤字倒産してしまう。この様に異常な医療経済的事情に対して“癌の早期発見早期治療キャンペーン”が追い風となり、多くの高齢者に癌検診を受けさせている。以前は腫瘍が5cm以上の大きさにならなければ発見できなかったが、高精度の画像診断装置により極めて小さな段階で早期の癌を容易に発見できる様になった。
これに伴い癌の治療法も大きく進歩し、以前は大腸癌の生存期間は診断後約半年であったが、最近では3~5年となっている。又、3~4カ月と言われていた胃癌も1~2年に、予後が悪い膵臓癌でも1~1年半となってきた。しかし、抗癌剤や手術による予後改善に関しては懐疑的な医者や研究者も少なくない。事実、前立腺癌や乳癌をはじめ、多くの癌では検出率が著明に増加しているにもかかわらず、年次死亡率は殆ど改善されていない。この原因には癌細胞の増殖特性や診断技術の進歩が大きく関係している。癌細胞が生じても臨床的に問題になるサイズにまで成長するにはかなり時間が必要である。このため癌の発見時期が早くなる事により、見かけの生存期間が延長された様に誤解される“リードタイムバイアス”が問題となっている。
    癌検診による早期発見が患者の死亡率を減少させてくれれば問題は無いが、現実には患者の死亡率は増加する一方である。腫瘍の中には真性の癌以外に病理検査でも判別しにくい偽陽性や良性の腫瘍(がんもどき)も多い。前者の場合はやがて臨床癌となり、多くの場合は患者を死亡させる。しかし、後者の場合は予後は良く、多くは癌以外の病気で死亡することから天寿癌と呼ばれている。事実、癌以外の原因で死亡した高齢者を病理解剖してみると、前立腺などに癌が見つかることが少なくない。古希を越えた年齢では平均数個の前立腺癌や大腸癌などを持っているのが普通である。健康診断などで精密検査を受けると何処かに腫瘍が見つかり、それが悪性と診断されて過剰治療された場合は術後の合併症や抗癌剤の副作用などでQOLを低下させ、死亡するリスクも高くなりうる。
  日本の医学会には“癌は先ず手術で治すべきである”という先入観がきわめて強い。今でも癌治療では放射線療法は補助的手段と見なされ、基本的には術前処置や手術不能な症例に適用される事が多い。この為、放射線療法と手術が同じ治療成績の場合でも、後遺症が多い後者による治療が優先されている。一方、欧米先進国では外科医、放射線科医、化学療法専門医などが連携し、個々の患者に最適と思われる治療法を協議して選択するのが基本となっている。事実、日本での放射線療法の割合は約25%であるが、米国では約60%と圧倒的に多い。癌組織周位に浸潤した癌細胞は手術でも取り残される可能性が高いが、放射線療法では癌周辺部も照射されるので取りこぼしは少ない。大手術では重要臓器への侵襲や患者の身体的負担が大きく、合併症で死亡するリスクも高くなる。手術信仰が強く根付いている日本では医師も患者も“手術ができてよかった”と思いがちであるが、必ずしもそれが患者にとって良い結果になっているとは限らない。
 この問題に真向から挑戦したのが「患者よ、ガンと戦うな」の著者・近藤誠氏である。長年、ガンを研究してきた経験からも近藤氏の主張は納得出来る点が多いが、大半の医療現場では完全に異端児扱いされている。近藤氏の主張が医学会に浸透しにくい理由の一つに治療担当医の実名を挙げて厳しく批判している点が大きいと思われる。“恥の文化”を基盤とする日本医学会では医者が相互の治療法を批判的に議論する事を無意識的に避ける習慣が身についている。 一方、多くの臨床医は専門医の学会で「日本のスタンダード治療法」を真面目に勉強しており、これを真面目に施行している医師は近藤氏の批判に対して感情的な防衛反応を示す事が少なくない。しかし、この日本的専門医制のスタンダード治療法に大きな落とし穴があると思われる。その実例が日本と欧米での癌放射線療法の選択率の差に現れている。例えば、現在の様に高度な医療技術がなかった約百年前の胃癌患者は、その時代に可能だった対処療法を受けるのみで放置されていた。これに対して現代では大半の癌患者が様々な方法で治療されている。しかし、「百年前の放置された末期癌患者の方が現在の治療患者群よりも長期間生存していた」ことを示す驚くべき論文が一流の国際誌に掲載されている。しかし、忙しい日本の医療現場では情報を俯瞰的に網羅することが困難であり、この様な情報は“公然の秘密”と無視されている。現代の治療患者の生存期間が昔の放置群よりも短い理由の一つに“がんもどき患者”に対する過剰治療が考えられる。近藤氏はこれらの事実を根拠に「癌放置療法」と云う“古くて新しい対処療法”を提唱している。    
   正常細胞と癌細胞の生存原理は基本的に同じであり、猛毒の抗癌剤の殺細胞作用は基本的に癌細胞と正常細胞を区別しない。抗癌剤にはDNAを標的とする薬が多いが、その主要なターゲットは核DNAよりもミトコンドリアDNAである。消化管、腎臓、心臓、神経系などの細胞は酸素やミトコンドリアが不可欠であるが、癌細胞はこれらが無くても生きていける。この為に大半の抗癌剤は癌細胞よりも正常細胞を強く障害する。これが抗癌剤の副作用の本体であり、良く効く抗癌剤は副作用も強いのである。副作用が少ない事をうたい文句にしている抗癌剤の多くは殺癌作用も弱い。この為、抗癌剤治療を受けている患者のQOLは癌による組織障害と副作用のバランスにより決定される。この様な副作用を克服する目的で“分子標的薬”と呼ばれる抗癌剤が開発されつつある。その中でも価格が日本の保険医療制度を崩壊させ兼ねないとのことで問題視されている免疫チェックポイント阻害薬のオプチーボでは“副作用が少ない事”が強調されている。しかし、保険適用となる肺癌患者での有効性は10名中1~2名であり、高額な割にはその延命効果が期待されているよりも遥かに短い。しかも、本薬の日本での価格は米国の2倍、英国の5倍もになっているが、欧米ではコストに見合う効果があるか否かの観点から保険適応は大きく限られている。今後、日本でも本薬の使用例が増えるにつれて真の実力が明らかにされるであろう。
   学生時代に私の恩師が“過去50年の癌治療史は敗北の歴史である”と述べられた。それから半世紀が経過した現在、私は“過去100年の癌治療史は敗北の歴史だった”との想いを強くしている。因みに、国立大学某医学部で癌診療に携わっている371名の現役医師に対して“白血病などの特別なガン以外で自分が固形癌に罹患した場合、現在の抗癌剤を使いしますか?”とのアンケート調査が行なわれたが、これに対して370名が“希望する患者には使うが、自分に対しては使いたくない”と答えている。その主な理由は、スタンダード治療を提供されなかった患者が司法に訴えれば医療側が敗訴するが、医師が自己責任で行うのは問題にならないからである。大半の医師は抗癌剤の毒性の本質的問題を経験的に知っているが、他に治療法がない為に制度上使わざるを得ないのである
   ヒトは自分に不都合なモノを異物などと見なしたい生き物でる。癌細胞はその代表的な存在であり、それ故に異物を排除する免疫力に縋る気持ちが強くなるのは人情である。しかし、正常細胞ろ加齢に伴い生じる癌細胞の構造や生存機能は圧倒的に類似しておりり、両者の差異は誤差の範囲に過ぎない。歳を取ると老化した顔にシワが増えて体型も変化するが、それらは紛れもなく己の身体である様に、癌細胞も老いた自己の一部である。この点で免疫力に期待する分子標的治療法にも根本的限界があると思われる。正常細胞も非特異的に障害する猛毒物を“抗癌剤”と命名したこと自体が癌化学療法の自爆的アキレス腱となっている。
   今後、患者のQOLを中心に癌治療を科学的に考えることにより大きなパラダイムシフトが起こると思われる。自己の一部でもある癌細胞を選択的に排除することは老化を阻止する事と同様に困難である。癌癌治療の夜明けは未だ遥か彼方であり、癌細胞を自己と受け止めて旅立てる死生観を育成する事が大切と思われる。

ピロリ菌と21世紀病の逆襲

『医者要らず健康長寿処方箋』
「ピロリ菌と21世紀病の逆襲」
   体内にある限り何とも思わない唾や便は排泄された途端に汚いと嫌われるモノの代表である。この嫌悪感は太古より人類が様々な病原体に翻弄されてきた歴史に起因する。口から侵入して来る“バイ菌”の大半は強酸性の胃液で殺菌される為、胃には細菌が住めないと長い間信じられてきた。しかし、1982年にオーストラリアのウオーレンとマーシャルがプロペラ状の鞭毛を持つヘリコバクターピロリを胃液から分離培養する事に成功した。胃潰瘍や胃癌の患者に多いピロリ菌を病因菌と考えた彼らは、これを飲む事により胃炎が起る事や抗生剤で胃潰瘍が治る事などを世界に先駆けて報告した。この研究に対して2005年にノーべ賞が授与され、“ピロリ菌は排除すべき病原体”との考えが医師達の間に広がった。これを追い風に日本でも除菌治療が保健診療として認められた。しかし、これは“ピロリ菌がコッホの三原則を満たす病原菌である事”を証明したものではない。
   10万年以上も人類と共に旅をしてきたピロリ菌は多様であり、その中でCagA蛋白陽性の東アジア人型では胃炎や胃癌の誘因となりうるが、欧米人型ではそのリスクが半分以下である。ピロリ菌の大半は幼児期に感染し、日本では人口の約半数(~6000万人)、50歳以上では70%が保菌者である。これだけ多くの保菌者がいながら、胃癌は70代以後の発症が多く、その率も1%以下と低い。胃癌の誘因となる胃粘膜萎縮は子共では起らないことから、欧米では“中学生を含む小児にはピロリ菌の除菌を行うべきでない”と考えられている。日本小児栄養消化器肝臓学会も“胃癌予防の目的で無症状の子供に検査や除菌を行うべきではない”と警告している。一方、日本ヘリコバクター学会は“全高校生を検査して早期に除菌する事が望ましい”と提言し、ある地域では高校生を対象に検査や除菌が進められている。
   一方、ピロリ菌はウレアーゼでアンモニアを産生して胃酸を中和する機能を有し、保菌者では逆流性食道炎、食道癌、肺癌、及び脳卒中などが抑制される事が知られている。更に、保菌者では喘息などのアレルギー性疾患が40%も低く、特に子供では花粉症やアレルギー鼻炎が抑制される。病理学では“身体で常時起っている軽度の炎症は組織修復や新陳代謝に必要な防御反応である”との概念があり、胃のピロリ菌も樹状細胞や制御性T細胞を介して免疫系のバランスを調節している可能性が示唆されている。事実、ピロリ菌を投与したマウスではアレルギー反応が抑制される。これらの事実を考慮するとピロリ菌の功罪を一元的に考える事は危険である。若年者ではピロリ菌がアレルギー性疾患を抑制して福音となり、胃に異常がなければ腸内細菌のバランスを崩してまで除菌する必要は無い。成人後は胃潰瘍や萎縮性胃炎が胃癌のリスクを高めるので、症状のある患者のみを除菌するのがバランスの良い対応と考えられる。
   新生児の胃は未発達で胃酸が無い為、出産時に母の膣や腸内の多様な共生細菌が口から入り生着する事が出来る。乳幼児期に多様な環境微生物に曝される事により病原体に対する細胞性免疫力が強化され、逆に暴露経験が少なかったり抗生剤で治療されるとアレルギー反応の液性免疫力が強くなる。この為、胃のピロリ菌を含め、口内には約12000種、大腸には34000種以上の細菌が共生する様になり、彼らのバランスにより様々な生命現象が制御されている。日本は20世紀後半に極めて清潔な先進国となったが、これと並行してアトピー性皮膚炎、花粉症、食物アレルギー、肥満などの“21世紀病”が激増してきた。一方、多様な細菌と接する農家やペットがいる家庭ではアレルギー疾患が少なく、数百年前の自給自足生活を続けている米国のアーミッシュではアレルギー疾患は殆ど見られない。人類と時空を共有してきた腸内細菌は人体を構成する“重要な代謝臓器”であり、彼らとの平和共存が健康にも不可欠なのである。
   感染防御や共生細菌の“貯菌箱“として重要な扁桃腺や虫垂は扁桃炎や盲腸炎を起こすことから“無用の長物”と見なされていた。半世紀程前は虫垂炎の予防目的で新米医師の教育を兼ねて胃の手術の際に虫垂まで切除していた。無知とは怖いものである。自然界に無駄は無く、悠久の時空を旅してきた存在には相応の意味がある。抗生剤は大戦後の医療に大きく貢献してきたが、この“切れ過ぎる化学のメス”は健康に必要な共生細菌の多様性まで切除してきた。20世紀後半から抗菌薬を乱用してきた先進国では常在細菌の15~40%とその遺伝子が失われてきた。これが大戦後の短期間に免疫アレルギー病態をはじめとする“21世紀病”を引き寄せてきた主因と考えられる。抗生剤は病原菌のみならず共生細菌の多様性にも深刻な影響を与える事を俯瞰的に考える必要がある。

健康長寿は顎力握力歩行力

『医者要らず健康長寿処方箋』
「健康長寿は顎力握力歩行力」
   鳥は恐竜の子孫であるが、彼らには先祖の様な歯がない。この為、鳥は食物を丸呑みして消化吸収しなければならない。恐竜は当初は卵を地中で孵化させていたが、これでは時間がかかるので卵が他の動物の餌食になる可能性が高かった。やがて暖かい地上で抱卵する様になり、孵化期間が短縮して捕食されるリスクが軽減したが、むき出しで無防備な巣では卵を奪われる危険性も高かった。恐竜の胚の化石の成長線を分析した結果、歯の形成には孵化期間の約60%を要し、卵が孵化するまでに数ケ月もかかっていた事が判明した。ジュラ紀を支配した恐竜と言えども、留守中に卵を他の獣などに狙われるリスクは大きかった。この為に孵化期間を更に短縮する戦略が生存に有利に作用した。
   鳥は軽い羽毛を持った事により体表面から熱を逃さずに体温を40~42度に維持でき、この高い体温で抱卵期間を数日~数週間に短縮する事に成功した。しかも、長期間かかる硬くて重たい歯の形成を放棄する事により孵化期間を更に短縮させ、体重の軽量化と高温のエネルギー代謝で空を飛ぶ事を可能にした。これにより高い樹上に巣を作る事ができ、卵が捕食されるリスクが激減した。これらの要因が同じ卵生でありながら恐竜と鳥類の繁殖戦略に大きな差をつけ、鳥類の繁栄を助けてきた。しかし、そのトレードオフとして鳥は噛まずに丸呑みして消化吸収できる食物しか食べられなくなった。木の実や魚を丸呑みするのはその様な歴史によるのである。
   これに較べて胚が体内で守られながら母親と一緒に移動しながら成長できる哺乳類は捕食者からのリスクを最小化する事に成功した。哺乳類は可動型保育器の子宮内で長い時間をかけて生存に必要な身体をユックリと構築することが可能になった。その中でも脳を巨大化することに成功した人類は、更に巧妙な生存戦略を展開できる様に進化してきた。形成期間が長い歯を持たずに生まれて柔らかい乳房から栄養豊富なミルクをもらいながら、長い離乳期間に腸内細菌叢を整えて免疫的軍事訓練を行い、多様な異種生物を食べられる様に進化した。離乳と共に歯が生えてくると硬い食物を噛み砕く事が可能となり、顎力が脳を鍛えていった。これに調理と云う武器が加わって広範な食材を食べる事が可能になった。更に、手を器用に動かす能力を進化させながら、握力と顎力を制御する脳の領域が大きく広がってきた。
   最近、英国で約50万人の住民を対象に約7年間に渡り握力の強さと心血管系疾患、呼吸器系疾患、及び大腸、肺、乳房、前立腺などの癌発生率や全死亡率との関係が調査された。その結果、握力の強さが心血管障害、呼吸器疾患、及び癌の発生率や全疾患による死亡率と逆相関することが判明した。男女ともに握力が5 kg低下するごとに死亡リスクが16~20%増加し、握力や筋力が低いほど不健康になり死亡率や罹患率が増加するのである。年齢、性別、糖尿病、BMI、収縮期血圧、喫煙などに握力の強度を加える事により、全死因死亡や心血管系疾患の発症に関する予測精度が有意に高くなる。年齢や性別に加え、握力も健康長寿の重要な要素なのである。   
   握力のみならず、顎力や歩行力も健康長寿に重要である事が明らかにされている。歯が丈夫でシッカリ噛める高齢者は健康であり、噛む力と健康寿命が相関するのである。80歳で20本の自分の歯を維持して食事できる事を目標にした日本の“80・20運動”は健康長寿の基本なのである。最近、誤嚥性肺炎などを恐れる老健施設では、“年寄りには柔らかい食事が優しい”との配慮からクタクタに煮込んだ野菜の煮付けなどが日常的に出されている。この小さな親切は考えようによっては大きなお世話でもある。ヒトには“廃用性萎縮”という現象があり、使わない身体や臓器の機能は速やかに劣化するので、無理のない範囲で使い続ける事が大切なのである。食事では歯応えのある食物をよく噛んで食べると急激な血糖値の上昇を抑制でき、顎力が鍛えられると同時に脳機能が維持されて認知症を予防する健康法になる。
   同様の事は手足をはじめとする身体全てについて言える。自立している71歳の日本人男女419人で調査した結果、日常の歩行数が多い高齢者では全死因による死亡率が低いことも判明している。毎日の平均歩行数が4,500歩未満、8,000歩以上、及びその中間の高齢者グループで追跡調査した結果、約10年間に76人(18%)が死亡したが、歩行数の多いグループでは死亡リスクが有意に低かった。高齢少子化が爆進する日本では、シッカリと噛み、握り、歩き続ける事が自立度を高めて健康長寿を楽しむ秘訣であり、若い世代の負担にならずに人生をしなやかに駆け抜ける基本的礼儀なのである。

顔の進化と表情の生存戦略

『医者要らず健康長寿処方箋』
「顔の進化と表情の生存戦略」
    ダイビングが趣味の私はボルネオやインド洋の珊瑚礁で色彩豊かな魚達と戯れながら別天地を楽しませてもらっている。熱帯魚の豊かな色彩を見ながら、彼らはどの様に世界を観ているのだろうかと思うことがよくある。イトマキエイなどの大型魚のみならず、クマノミなどの小魚の表情も千差万別であり、夫々が個性を主張している。縄張りを持つ魚達は隣近所の仲間と他所者を区別する事が出来る。魚類に限らず顔は縄張りや自己を主張する情報器官なのである。
    動物の生存には餌獲り反応が最重要課題であり、獲物を見つけて効率良く動けることが必要である。地中で暮らすゴカイや ミミズなどは前後両方向に移動出来る事が有利であるが、水中や地上で餌を捕まえたり天敵から逃げるには特定の方向に素早く移動できる事が生死を分ける。この事が進化圧となり消化管の一方をめくれ返して口や唇を創り、これを口輪筋が取り囲むことにより餌を効率良く捕獲できる口が誕生した。更に、口の周辺に情報収集装置である眼や耳や鼻を集めることにより顔が誕生したが、全方向に動けるウニやヒトデでは顔は進化しなかった。顔の設計図は魚類が基本であり、餌を噛み切る歯は爪の様に皮膚が進化した組織である。食物を飲み込む為の舌は魚の第三のヒレであり、 顎で餌を噛み砕く咬筋や側頭筋は顎弓筋から、情報を伝える表情筋の口輪筋、眼輪筋、鼻根筋などは舌弓筋から進化してきたのである。
   顔は捕食と情報収集の為の装置として進化してきたが、動く獲物を捕らえるには鋭敏な視覚がモノを言う。ヒトは周囲の風景がはっきり見えていると思っている。しかし、それは錯覚であり、実際には限られた範囲しか見えていない。本を読む時はページの一部が鮮明に見えているだけで、大部分はボヤけているので目を動かさなくては文章を読むことができない。特定の対象に意識を向けると眼が素早く動くが、その移動中に網膜に投影されたモノの大半は無視されている。ヒトは自分で行動を制御していると思っているが、その大半は無意識に支配されている。考え事をしながら歩いたり車を運転できるのも脳の無意識機能のお陰である。    
   ヒトでは光情報が網膜の神経細胞を介して後頭葉の1次視覚野に到達し、そこから更に三十ヶ所以上の視覚関連野に転送されている。これらの視覚領域は物体の形、色、方向、角度、動き、奥行などの要素を特異的に分別しながら世界を認識している。この領域は聴覚や嗅覚などの知覚系ともネットワークを形成し、共感覚の神経基盤を構築している。脳の神経系も最初は1個の受精卵から出発して高次の機能を獲得しているが、本来は全ての五感を区別せずに感知している。音を聴いたり数字を見ると色が視えたりする共感覚が存在するのはこの為である。
   猿族の中でも白眼は人類だけにあり、相手を注目している事を伝えるメッセージとして機能している。新生児の眼は強度の近視であり、お母さんの顔は輪郭がボンヤリと見えるのみである。しかし、コントラストの強い白黒の眼を視たお母さんの視床下部では愛情ホルモンのオキシトシンやプロラクチンが産生されて授乳反応が誘起される。新生児の眼は母乳と愛情の誘導装置なのである。
   眼球が成熟すると外界の微細な情報を認識できる様になる。ヒトではこの機能は表情を読む能力としても重要である。顔や眼の周囲の表情筋はヒトの感情を表現する無意識的言語である。眼や唇の周囲を取り囲む輪状筋や口輪筋は両臓器をリング状に覆って保護すると同時に、微妙な収縮弛緩反応により感情を表出している。“顔は笑っているが、目は笑っていない”などと言われる様に、顔面神経で制御されている表情筋の収縮反応の僅かな差異が心を反映しており、それを読み取る能力が人間関係の構築や生存に重要な役割を果たしてきた。
   最近、脳に顔を識別する“顔パッチ”と呼ばれる領域が存在する事が明らかになった。これは光により生じる額と口や眼窩と鼻のコントラストなどを認識する神経領域であり、ここに“顔細胞”と呼ばれる神経細胞が局在している。顔パッチは左右の脳半球に合計12箇所あり、サルでは約205個の顔細胞が50個の座標(50次元)を用いて顔の角度や見え方による違いを調整しながら画像処理している。
   古今東西、化粧では目と口を中心に創ろうが、これは相手の美意識やエロスを刺激する無意識的戦略である。喜怒哀楽を豊かに表現する眉毛を剃り落として表情筋の無い額に眉墨を入れると能面の小面になる。これは表情を隠す事により視覚関連領域で幽玄の広がりを想像させる強かな能楽の戦略である。最近の若者でもアイシャドウやエクステにより目の周囲を黒くしてコントラストを増強し、“眼力”を強化するのがコスメの主流となっている。これが最も強化されたのがイスラームの黒いブルカであり、眼の周りの僅かなスペースで男脳のエロスを刺激している。“秘すれば花”は花伝書が極めた奥義である様に、顔の表情やコスメは進化が創生した無意識的生存戦略なのである。

恋の賞味期限と遺伝子の継承戦略

『医者要らず健康長寿処方箋』
「恋の賞味期限と遺伝子の継承戦略」
  ヒトとチンパンジーの遺伝子は約1.62%異なるが、この僅かな差異が圧倒的な文化を創成して両者の生活様式に劇的な差異を生み出してきた。約23千種の遺伝子を有するヒトでは性染色体のXとYに夫々1098個と78個の遺伝子が局在している。これは全ゲノムの約0.4%%に過ぎないが、ヒトとチンパンジーとの遺伝的差異と較べるとかなり大きな差である。男女の特性が性染色体のみに依存するワケではないが、この差異が両者の考え方や行動におけるスレ違いやスッタモンダの主な原因となっている。これは原始狩猟生活における食物採取や育児の役割分担により培われながら両脳に刻み込まれてきた特性である。獲物を追いかけて広範囲を移動する男脳ではGPS的方角把握能力が強化され、子連れで狭い範囲を移動する女脳では些細な変化や仲間の表情などを読む能力が強化されてきた。女は地図が読めないと言うのは大きな誤解であり、世界を認識する方法が両脳で異なるだけである。両者の行動の大半は無意識的にコントロールされているが、それらに関与する脳の部位には顕著な性差が見られる。何事もシステム化して考える男脳と共感的に空気を読む女脳が協力する事により原始社会で食物を確保して子孫を残す事ができたのである。空気を読めない男脳を極限化すると自閉症的になり、複数の作業を同時並行的に処理できる協調的女脳が日常生活での主導権を握る事になった。
  女性の妊娠、出産、子育てには膨大なエネルギーが必要である。英語でLaborと称される出産は生死を賭けた重労働であり、一昔前までは母子共に命を落とすことも少なくなかった。本来、ヒトはシンドイ思いやメンドくさい事は避けたい生き物である。しかし、その思いが強くなり過ぎると種が絶滅してしまう。数百万年もの年月を生き延びてきた哺乳類は、この苦痛を乗り越えながら遺伝子を継承するために理性の麻痺装置を進化させてきた。その中心的役割を果たすのがドーパミンの報酬系である。この刺激が強くなると理性ではコントロールできない情動行動にかり立てられる。恋は盲目と言われるが、理性を麻痺させなければ恋は成就しないのである。しかし、この装置は賞味期限付きであり、多くの場合は1年程度で恋愛感情も薄らいでくる。この時期までに運良く子供を授かった場合は期限切れの麻痺装置を補完する脳内機構が目覚めてくる。愛情ホルモンのオキシトシンである。脳から分泌されるオキシトシンは子宮平滑筋を収縮させて出産を促し、赤ちゃんの鳴き声に反応したお母さんの乳腺では平滑筋が収縮して授乳を促進する。飢餓が日常茶飯事であった時代には子供が無事に離乳して独立できるには男女の出会いから最低4年の年月が必要であった。その時代には怪我や感染も日常茶飯事であり、感染症対策も生存に不可欠な課題であった。病原体から身を守る免疫力では多種多様な抗原に対応する為に抗体の多様性を拡大することが必須である。免疫の多様性を拡大するには有性生殖により異質な遺伝子を融合させる事である。生涯に僅かな子供しか持てない哺乳類では乱交的遺伝子継承システムが生存を最適化する有効手段であった。事実、哺乳類では98%以上が乱交型であり、人類史でも一夫一妻制はキリスト教文明以後に始まった例外的制度に過ぎない。ヒトに近いボノボやチンパンジーはその典型であり、雌雄共に父親を同定する事ができない。この事が雄による子殺しを抑制して平和的に同族集団を増やす事を可能にした。人類も数十万年をかけてこの様な仕組みを進化させてきた。悠久の時空を超えて脳に組み込まれてきた本能は現代社会でもフル稼働しており、人々の生殖行動を無意識下で支配し続けている。文春砲などが世間を騒がせている不倫騒動などはそのささやかな一面に過ぎない。事実、一夫一妻制の現代社会でも世界の6割は婚外子である。民族、宗教、時代を問わず離婚可能な国々では、多くのカップルが子供が離乳する四年目に離婚のピークを迎えている。しかし、野生動物と較べて超未熟的状態で生まれてくる人間の子供は、離乳後も安全に生きていく事が困難であり親の保護を必要とする。ヒトはこのリスクを軽減するために様々な仕組みを進化させてきた。雄ではこの時期に愛情や愛着心を誘導するバゾプレシンの遺伝子が目覚め、家族を思う感情が強化される。家事や子育てに積極的な男性ではバゾプレシン受容体が多く発現しており、育メン行動が強化される。この時期にドンファン的に生きるかマイホーム的になるかはバゾプレシンの遺伝子次第なのである。しかし、オキシトシンやバゾプレシンだけでは未熟な子供を守る上では不十分である。人類はキリスト教、イスラム教、仏教など、八百万の神々を脳内で誕生させ、様々な儀式や神通力で強力な社会的同調圧を創生しながらこの困難を乗り切ってきた。七五三の儀式は子供が3歳まで無事に育ってくれた事を祝うと同時に、家族の絆を再度強化して離婚のリスクを回避し、子供達の生存を最適化する為の遺伝子継承ソフトでもある。
  有史以来、人類は食欲、性欲、社会欲を三位一体化させながら遺伝子を継承してきた。しかし、ヒトを含む多くの動物は基本的には自分ファーストの生き物であり、状況次第で種の保存よりも個体維持を優先される事が少なくない。飢える事を忘れた現代のSNS社会では、承認欲求を代表とする社会欲がイージーに満たされる様になった。その代表例がフェースブックである。美味しいレストランの一品やささやかな手作り料理の写真をフェースブックにアップすると瞬く間に沢山のいいねが送られてくる。たわいもない出来事を掲載してもそれなりの反響があり、承認欲求が簡単に満たされる様になった。この様なバーチャル世界に絡み取られると、スレ違いが多くてメンドくさい儀式を要する男女の脳は直接的に交流することを回避する様になった。現在の日本では適齢期(?)の若者の半数以上が異性の友人を持たず、性体験も無いとの調査結果がある。人口問題研究所の推計では、2035年における生涯未婚率は男性で30%、女性で20%であり、有配偶率は男性で55.7%、女性で49.3%になると予測されている。これは人口の約半分が単身世帯である時代が到来する事を意味し、日本の人口が今世紀中に現在の半分以下にまで減少する予定である。欧米先進国の多くも人口減少に頭を痛めており、様々な対策がなされている。それらの国々の中でも出生率が2.0以上に上昇しているフランスなどでは、家族主導型の婚姻形態は絶滅状態であり、様々な煩わしさを排除した事実婚が主流となっている。しかも、出産は全て無料であり、子供を多く持つ母親への経済的支援は極めて手厚い。この為、世話のかかる面倒な宿六的男性は不採算的存在となり、懸命に尽くさなければお払い箱にされてしまう。これは人類が早期から形成していた母権性社会の復活である。母子を思い切り手厚く支援する事が賞味期限付き脳内ホルモンの機能不全を補完する唯一の処方箋である。行政はタレントや政治家の不倫を糾弾する同調圧的三面記事に振り回されず、数百万年に渡り脳が遺伝子を継承してきた本能の仕組みを学ぶ必要がある。

癌に罹った医者の治療法選択

『医者要らず健康長寿処方箋』
「癌に罹った医者の治療法選択」

生まれては死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も(一休禅師)

   死の多くは他人事であるが、自分が癌に罹ると圧倒的な現実として迫ってくる。日本では癌が死因の1位となり、高齢者の2人に1人が癌に罹り、3人に1人が癌で死ぬ時代となった。2014年には75万人が癌と診断され、2016年には37万人以上が癌で死亡した。癌は世界的に増えているが、その多くは発展途上国である。欧米先進国では癌が毎年5%程減少しており、先進国で増えているのは日本のみである。世界最長寿国日本と2位以下の先進国の平均寿命の差は僅かなので、日本のみで癌死亡率が増加している理由は他にある。「癌は早期発見早期治療が重要」と考えられているが、肺癌、食道癌、膵臓癌などは初期でも転移や術後の再発が多い。悪性の癌は手術で除去しても既に転移していることが多く、早期発見や早期治療には大きな限界がある。癌の進行速度も種類により異なり、定期的に癌検診を受けても進行が速いものでは発見された時にはかなり進行していることもある。一方、前立腺癌や子宮頚癌では転移や再発が少ないので、検診で早期発見できても生存率はあまり変わらない。事実、高感度のPSA検査で早期発見された前立腺癌は過去30年間で10倍以上増加したが、死亡率はむしろ増加傾向を示している。欧米では治療成績を向上させないPSA検査は逆効果であるとして廃止されたが、日本では未だに前立腺癌の早期発見法として汎用されている。
   日本では“癌は先ず手術で”と治療に手術を優先させる事が多い。しかし、医師が癌に罹った場合には選択される治療法はこれとは少し様子が異なる。癌診療に従事している医師553名に“自分が癌に罹ったらどの様な治療を選択するか?”をアンケート調査した結果、大半の医師は「手術を避けて心身の苦痛を和らげる緩和ケアを選択する」をトップに挙げた。手術を選んだ医師は僅か8%に過ぎず、その主な理由は「ダメもとでもチャレンジしたい」であった。化学療法を選んだのは16%で、その理由は「効果と副作用を試した後に緩和ケアを受ける」であった。放射線療法と化学療法の併用を選んだのは15%で、「治る可能性は低いが最善を尽くしたい」との理由が多かった。医師が罹りたくない癌のトップは膵臓癌であり、次いで肺癌、食道癌、咽頭癌、喉頭癌、脳腫瘍などが続いた。何も症状が辛くて予後が悪く、治療も難しくてQOLが低下する癌である。特に膵臓癌は有効な治療法がなくて予後も悪く、肺癌では呼吸困難、食道癌や咽頭喉頭癌では食事や発声が困難でQOLが低下する事が恐れられている。全ての癌でIII~IV期の場合に選択された治療法は緩和ケアであり、 5年生存率が低いIV期では積極的治療よりも痛みなどの症状緩和でQOLを維持したいと考えている。肺癌のIV期では治療するメリットはないと考えており、抗癌剤などなで余命が少し延びてもQOLは悪くなる。体が弱っている患者では抗癌剤などを使わずに緩和ケアのみの方が遥かに予後が良いのである。
     私は1970年の大阪万博の年に大学院で癌の研究を始めたが、その頃に乳癌で奥様を亡くされた恩師が“過去50年間の癌治療研究は敗北の歴史だった”と呟く様に言われた。それから半世紀の間に遺伝子治療や免疫療法など様々な治療法が現れて多くの医師や患者を期待させてきたが、その大半は泡沫のごとく消えていった。最近、リンパ球の免疫的チェックポイントを制御する抗体医薬が開発され、“今度こそ本当に効きそうな免疫治療法が開発された!”と大きく期待されている。この異常な期待感は“従来の免疫療法の大半が無効であった事”を示唆している。この抗体医薬は皮膚癌で有効だった事から肺癌などへの適用が期待されているが、肺癌での有効性は10名中1~2名と意外に低い。ヒトは不都合なモノを非自己と見なしたい無意識的欲を持っている。2万5千種の遺伝子の極一部が変異した癌細胞は正常細胞と同様に圧倒的な自己であり、これを非自己と認識して選択的に排除する事は難しい。“免疫力は強い程良い”との考えがあるが、これは誤りである。免疫力が強すぎると自己免疫疾患やアレルギー疾患に罹る。陸海空の軍事バランスと同様に免疫力にもバランスが大切なのである。この抗体は免疫系のアクセルを踏んでブレーキを外す治療薬なので癌細胞のみならず正常細胞をも攻撃する可能性が高く、その有効性と副作用のバランスを慎重に見守る必要がある。ところで肺癌患者に対する本抗体医薬の延命効果は意外に低い様であり、欧米では費用対効果の観点から保険適応は大きく制限されている。本剤の日本での価格は米国の2倍、英国の5倍と異常に高く、これを高齢者が利用すると国民の保険医療制度を崩壊させかねない。医療経済学的英知と加齢現象である癌を自然体で受け止める死生観が問われるところである。

驚愕の高血圧国家

『医者要らず健康長寿処方箋』
「驚愕の高血圧国家」
      エネルギー消費量の多い脳は自分に必要な酸素や栄養素を確保する為に血圧中枢で血圧を正確に制御している。ヒトでは加齢に伴い動脈硬化が起こるので、年齢と共に血圧を上げなければエネルギー不足で脳が障害されてしまう。しかし、血圧が動脈壁の耐久強度を超えると脳や心臓の血管が障害されてくる。高齢者の高血圧が問題になるのは動脈硬化により脳卒中などが起こりやすくなるからである。一方、人ごとに体重や身長が違う様に動脈硬化の進行にも個人差があり、血圧の正常値も個人により異なる。この為、長い間「加齢により血圧が上昇するのは自然な適応現象であり、その正常値は年齢+90 mmHg”」と考えられてきた。この一律に90 mmHg”が最適か否かには議論があるが、血圧の正常値を年齢と共に引き上げていく発想は科学的に優れている。戦後の経済発展により栄養状態が大きく改善され、血管組織も強くなって脳卒中の発症率が大きく減少してきた。この為、高齢者の血圧を薬で一律に下げる事には大きな問題がある。しかし、何時の間にか年齢に関係なく“140/90 mmHg以下に降圧治療する事が多くの医師の常識となってしまった。この基準により降圧薬を飲んでいる日本人患者は約4300万人に増加し、この薬の費用だけで1兆円を超えてしまった。
     今回、日本高血圧学会は高血圧の降圧目標値を更に130/80 mmHgへ引き下げる様に高血圧治療ガイドラインを改訂した。これにより6300万人以上が血圧に問題のある人となり、世界最長寿民族でありながら過半数が降圧治療の対象にされる事になった。この基準値引き下げにはアメリカでの臨床試験が大きく影響している。60歳以上で血圧が160 mmHg以上の約4700人を対象に降圧薬の効果を5年間観察した結果、脳卒中発症率が非治療群の8.2%に対して治療群では5.2%である事が判明した。しかし、この結果は「降圧治療により脳卒中発症率が36% (3÷8.2 x 100 = 36)も改善される事が実証された」と報告された。僅か3%の差異であるにもかかわらず、この様にデーターを操作すれば降圧治療は極めて有効であると誤解されてしまう。2015年に9千人の高血圧患者を140又は120mmHg未満に降圧治療して心筋梗塞や脳卒中の発生率と全死亡率を比較したアメリカのSPRINT試験により、“130/80 mmHg以上を高血圧症とする基準が誕生した。欧州でも2017年に基準値を140/90 mmHgに据え置いたまま降圧目標を130/80 mmHg未満に引き下げた。しかし、これらの期待とは逆に降圧治療された高齢者がフラついて転倒骨折で寝たきりになる例も多くなってきた。フランスとイタリアの特別養護老人ホームで80歳以上の男女1100人を調査した研究でも「降圧薬を2種類以上飲んで血圧を130未満に下げたグループでは死亡リスクが2倍以上高くなり、真面目に降圧治療したグループが最も寿命を縮めていた事」が判明した。降圧薬で血圧が下がり過ぎて寝たきりや腎不全になったことが寿命短縮の原因であった。
   最近、注目されているフレイルは、加齢により筋力、認知機能、心身の活力などが低下して死亡リスクが高くなる虚弱状態である。歩行困難の高齢者における研究では、血圧が140 mmHg以上の方が死亡リスクが低く、心身が弱った高齢者では血圧が高目の方が長生きできる事も判明している。この為、フレイルの高齢者では降圧治療がQOLを低下させて死亡リスクを高めるので降圧薬をやめる様に警告されている。しかし、多くの介護施設では血圧が高いと入浴させられないという規則を理由に降圧剤が投与され続けている。
   多くの真面目な医師達は学会のスタンダード治療を忠実に守る事が良心的医療であると信じて高齢者も積極的に降圧治療している。しかし、80歳以上の高齢者の降圧試験では病弱な人を参加者から除外して元気な高齢者のみを試験対象としている。この為、試験結果を全ての高齢者に当てはめることはできない。製薬企業が最大のスポンサーである医学会の臨床報告では企業絡みの利害が関与する事が少なくない。降圧剤ディオパンの臨床試験におけるデータ改ざんスキャンダルはその典型的な例である。この傾向は欧米先進国でも同様である。流石に気が引けたのか、日本高血圧学会の専門家達は「今回の基準値改定は高血圧ではないが、心臓血管病のリスクが高まる可能性のある人の生活習慣を改善する為の努力目標である」と苦しい説明をしている。しかし、歳と供に誰でも動脈硬化が進むので、全員がリスク保有者である。巷ではその追い風を受けて「高血圧の基準が変わりました!血圧が気になる方は我が社の〇Xを!」などと不安を煽る宣伝が氾濫している。真面目な医師は少しでも患者のリスクを少なくする為に、更に積極的に降圧治療を行う様になる。しかし本来、動脈硬化を薬やサプリメントで予防するのは困難であり、薬で一律に血圧を下げる事には無理がある。
   “ヒトは血管と共に老いると言われる様に、身体の自己復元力を強化して加齢に伴う動脈硬化を予防する事が健康長寿の基本である。筆者は「何時でも何処でも誰でも簡単に動脈硬化や高血圧を予防できる血管マッサージ法」を提唱してきた。これは自分の手で皮膚を骨に押し付けながら全身の動静脈を刺激する方法であり、動脈硬化や高血圧を予防する特効薬でもある。紙面の都合で詳細は省くが、筆者のホームページの「動脈マッサージ」をご覧頂き、医者要らずの健康長寿をお楽しみ頂きたいものである。