2019年11月6日水曜日

苦味受容体と生体防御機能

『医者要らず健康長寿処方箋』
「苦味受容体と生体防御機能」
   甘味、塩味、酸味、旨味、苦味などの味覚は、食物の栄養価や毒性を検知して生存を支援するゲートキーパーである。ヒトの舌に分布する甘味、塩味、酸味、旨味の四受容体は夫々1種類ずつあるが、苦味の受容体は25種類以上もあり、T2Rと呼ばれるスーパーファミリーを形成している。その場から動いて逃げる事のできない植物は、動物や病原体の餌食になる事を免れる為に様々な毒物を産生する防御機構を進化させてきた。これに対抗する為に動物は味覚や嗅覚などの五感を研ぎ澄ましながら、栄養分と毒物を検知する機構を進化させてきた。苦味や悪臭はその食物に毒があることを捕食者に知らせるシグナルである。苦味受容体が舌の味蕾に存在していることは古くから知られていたが、実は鼻粘膜、気道、肺、腸、脳などにも広く発現している事が最近明らかにされた。
   緑膿菌はアシルホモセリンラクトン(AHL)と呼ばれるアミノ酸の代謝産物を産生し、これを原料にして菌体を保護するバイオフィルムを形成する。細菌がバイオフィルムで覆われると抗生物質に対する抵抗力が1000倍以上も増強するので、通常の薬物療法では治り難くなる。興味深いことに、苦味受容体を有する粘膜細胞は、AHLにより活性化されてカルシウム依存性に一酸化窒素(NO)やディフェンシンを産生して病原菌を効率良く排除する。ディフェンシンはプラスに荷電した塩基性ペプチドであり、細菌の細胞壁負荷電分子に結合して抗菌活性を発揮する。この際に気道粘膜や気管支粘膜の有毛細胞も活性化され、病原菌や異物を排除する線毛運動が活発になる。この様な苦味受容体を介する緊急警戒反応により、緑膿菌やメチシリン耐性菌も効率良く排除されている。
   上気道の粘膜細胞が有するT2R38と呼ばれる苦味受容体には遺伝子が2種類あり、その組み合わせにより苦味を極めて鋭敏に感じるスーパーテイスター、全く感じない味盲、および両者の中間に位置するグループに分かれる。白人ではその割合が夫々20%、30%、及び50%となっている。スーパーテイスターはAHL分子を低濃度で検出できるので、彼らの副鼻腔や気道で緑膿菌がAHLを産生するとT2R38受容体が速やかに刺激されて強力な殺菌排除反応が起こる。一方、味盲者ではAHLを検出するのに100倍以上もの濃度が必要なので病原菌を排除する反応も起こりにくい。この様な苦味受容体のAHL感受性が上気道の緑膿菌感染に対する抵抗力を左右していると考えられる。事実、スーパーテイスターの鼻粘膜にはグラム陰性菌は認められず、苦味に敏感なヒトは風邪も引きにくい事が知られている。栄養状態や生活環境が悪かった敗戦直後の日本では、多くの児童が副鼻腔炎を患っていた。私の小学校時代にも蓄膿症で青バナを出しているクラスメートが多かった。米国では今でも毎年2,000万人以上が慢性副鼻腔炎を患っている。
   好中球やリンパ球も苦味受容体を有しており、これがグラム陰性菌の産生するAHLにより刺激されると活性酸素やNOが産生されて強い殺菌作用を発揮する。歯槽膿漏の原因となるギンギバーリスもバイオフィルムを形成する代表的病原菌である。このバイオフィルムにカルシウムが結合沈着して強固な塊を形成した物が歯石である。この為、病原菌や有毒物質の入り口である鼻腔や口腔の粘膜には活性化された好中球が常時パトロールしており、活性酸素、NO、ディフェンシンなどを産生分泌しながら病原体を排除している。免疫力が未発達な乳幼児や子供が苦い物を嫌うのは本能的に毒物を避けている為である。一方、刺身や生肉を食べる大人が苦味や辛味の強いスパイスを好むのは、直感的に調理法に組み込まれてきた感染症対策なのである。腸の粘膜細胞にも苦味受容体が発現しており、苦い食物を摂取すると腸でも同様の防御反応が誘起されて腸内細菌叢のバランスが変化する。苦味受容体は膀胱粘膜にも発現しており、尿路感染症ではAHLにより排尿が促進されて菌を体外へ洗い流すのに一役買っている。
   味覚は顔面神経、舌咽神経、迷走神経などから孤束核や視床を介して大脳皮質の味覚野に伝達される。口腔、咽頭、鼻腔、副鼻腔、および風邪などの予防に有効なツボの迎香の領域に分布する三叉神経も味覚の形成に重要な役割を果たしており、視床下部・下垂体・副腎軸や自律神経を介してストレス応答や免疫反応を制御している。苦味受容体を介する早期緊急警戒反応は、これらの神経免疫ネットワークともクロストークしながら食の安全性と生体防御反応を支援している。

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