2019年11月6日水曜日

癌死大国日本の医療と処方箋

「癌死大国日本の医療と処方箋」
 ヒトは約37兆個の細胞を有し、その遺伝子は加齢と共に障害が蓄積されるので高齢になると癌を発症しやすくなる。今日では日本の高齢男性の約半数、高齢女性の1/3が癌に罹り、癌が死因の第1位となっている。発癌には癌遺伝子と癌抑制遺伝子が重要であるが、これらは細胞分裂でアクセルとブレーキの役割を担う遺伝子群である。その遺伝子に突然変異が蓄積してくると細胞の分裂を制御できなくなり癌化する。放射線、タバコ、アスベスト、ウイルス、細菌、及びストレスなど、DNAを障害する因子は日常の環境内に溢れている。
   体重が6トンもあるゾウはヒトの100倍もの細胞を持ち、ヒトと同様に70年以上生きる。しかし、彼らは殆ど癌に罹ることなく、動物園でも癌で死亡するは5%未満である。細胞の分裂回数や生死は癌抑制遺伝子P53、個体の大きさ、寿命などと関係している。この遺伝子はヒトでは2コピーしかないが、ゾウでは40コピーもある。これが1コピーのリ・フラウメニ症候群の患者では90%が癌に罹患する。この患者と健康人およびゾウのP53遺伝子を比較した結果、三者の放射線照射感受性は同じであるが、ゾウのP53は損傷した細胞を修復するよりも自殺させて排除する傾向が健康人より2倍以上、リ・フラウメニ症候群患者より5倍も強いことが解った。ゾウにも様々なストレスはあるが、喫煙や過剰摂取もしない彼らは癌予防と同時にDNA損傷細胞を排除する能力も優れており、これが癌で死なない主な理由である。
 日本人では癌が脳卒中を抜いて死因の1位となり、高齢者の2人に1人が癌に罹り、3人に1人が癌で死ぬ時代となった。2014年には約75万人が癌と診断され、2016年には37万人以上が癌で死亡している。癌で死ぬことが当たり前になった時代の高齢者は癌を不必要に恐れず、彼らと共存しながら人生の幕を引くことも大切である。癌は遺伝子が傷害されて発症する老化現象であり、典型的な生活習慣病である。長く生きるほど遺伝子の傷害が蓄積されるので、高齢になるほど癌に罹りやすくなるのは当然である。事実、50歳以上の日本人では年齢と供に癌患者数が著明に増加している。
   多くの場合、胃癌や大腸癌では治療後に5年経過すると再発して死亡する率が低くなる為、5年間再発しなければ治癒したと見なされる。しかし、治療後5年を過ぎて再発するか否かは癌の種類によって大きく異なる。例えば、乳癌では5年経過後も再発して死亡する例が多く、何時までも再発しうる癌である。癌患者の生存率には「実測生存率」と「相対生存率」があり、前者は癌以外の死因も含むために治療法の評価には相対生存率が用いられている。癌の全部位および全臨床期の10年相対生存率は癌の種類により大きく異なり、胃癌では69%、大腸癌では70%、乳癌では83%、肺癌では33%、肝癌では15%である。
   癌で死亡する患者数は世界的にも増えているが、その多くは発展途上国である。欧米先進国では癌は毎年約5%程度減少しており、先進国中で癌患者が増え続けているのは日本だけである。他の先進国と比較して日本での高齢化速度が著しい事が癌死亡率増加の主因と考えられている。しかし、1位の日本と2位以下の欧米先進国での平均寿命の差は僅かなものであり、日本のみで癌患者が増加している主因は他にあると思われる。
 日本の国民皆保険制度は世界でも類を見ず、米国の医療制度などと比較しても如何に優れた制度であるかを実感させられる。一方、日本の医師は病気の診断や治療には関心が深くて熱心であるが、多くの医療現場には構造的な問題がある。手厚くて安い医療費が受診に対する患者の心理的ハードルを著しく低くし、特に症状も無いのに不安感から医療機関を訪れる患者も少なくない。その為、CT, MRI, PETなどの高額画像診断機器による癌検診も日常的になっている。ちなみに、日本の人口は世界の僅か1.8%であるが、CTなどの最先端画像診断機器の保有率は日本がダントツ1位であり、世界の約30%もの高額診断機器が集中している。これは極めて異常な現象であり、高額の診断機器を頻回に使わなければ病院は経営が成り立たずに赤字倒産してしまう。この様に異常な医療経済的事情に対して“癌の早期発見早期治療キャンペーン”が追い風となり、多くの高齢者に癌検診を受けさせている。以前は腫瘍が5cm以上の大きさにならなければ発見できなかったが、高精度の画像診断装置により極めて小さな段階で早期の癌を容易に発見できる様になった。
これに伴い癌の治療法も大きく進歩し、以前は大腸癌の生存期間は診断後約半年であったが、最近では3~5年となっている。又、3~4カ月と言われていた胃癌も1~2年に、予後が悪い膵臓癌でも1~1年半となってきた。しかし、抗癌剤や手術による予後改善に関しては懐疑的な医者や研究者も少なくない。事実、前立腺癌や乳癌をはじめ、多くの癌では検出率が著明に増加しているにもかかわらず、年次死亡率は殆ど改善されていない。この原因には癌細胞の増殖特性や診断技術の進歩が大きく関係している。癌細胞が生じても臨床的に問題になるサイズにまで成長するにはかなり時間が必要である。このため癌の発見時期が早くなる事により、見かけの生存期間が延長された様に誤解される“リードタイムバイアス”が問題となっている。
    癌検診による早期発見が患者の死亡率を減少させてくれれば問題は無いが、現実には患者の死亡率は増加する一方である。腫瘍の中には真性の癌以外に病理検査でも判別しにくい偽陽性や良性の腫瘍(がんもどき)も多い。前者の場合はやがて臨床癌となり、多くの場合は患者を死亡させる。しかし、後者の場合は予後は良く、多くは癌以外の病気で死亡することから天寿癌と呼ばれている。事実、癌以外の原因で死亡した高齢者を病理解剖してみると、前立腺などに癌が見つかることが少なくない。古希を越えた年齢では平均数個の前立腺癌や大腸癌などを持っているのが普通である。健康診断などで精密検査を受けると何処かに腫瘍が見つかり、それが悪性と診断されて過剰治療された場合は術後の合併症や抗癌剤の副作用などでQOLを低下させ、死亡するリスクも高くなりうる。
  日本の医学会には“癌は先ず手術で治すべきである”という先入観がきわめて強い。今でも癌治療では放射線療法は補助的手段と見なされ、基本的には術前処置や手術不能な症例に適用される事が多い。この為、放射線療法と手術が同じ治療成績の場合でも、後遺症が多い後者による治療が優先されている。一方、欧米先進国では外科医、放射線科医、化学療法専門医などが連携し、個々の患者に最適と思われる治療法を協議して選択するのが基本となっている。事実、日本での放射線療法の割合は約25%であるが、米国では約60%と圧倒的に多い。癌組織周位に浸潤した癌細胞は手術でも取り残される可能性が高いが、放射線療法では癌周辺部も照射されるので取りこぼしは少ない。大手術では重要臓器への侵襲や患者の身体的負担が大きく、合併症で死亡するリスクも高くなる。手術信仰が強く根付いている日本では医師も患者も“手術ができてよかった”と思いがちであるが、必ずしもそれが患者にとって良い結果になっているとは限らない。
 この問題に真向から挑戦したのが「患者よ、ガンと戦うな」の著者・近藤誠氏である。長年、ガンを研究してきた経験からも近藤氏の主張は納得出来る点が多いが、大半の医療現場では完全に異端児扱いされている。近藤氏の主張が医学会に浸透しにくい理由の一つに治療担当医の実名を挙げて厳しく批判している点が大きいと思われる。“恥の文化”を基盤とする日本医学会では医者が相互の治療法を批判的に議論する事を無意識的に避ける習慣が身についている。 一方、多くの臨床医は専門医の学会で「日本のスタンダード治療法」を真面目に勉強しており、これを真面目に施行している医師は近藤氏の批判に対して感情的な防衛反応を示す事が少なくない。しかし、この日本的専門医制のスタンダード治療法に大きな落とし穴があると思われる。その実例が日本と欧米での癌放射線療法の選択率の差に現れている。例えば、現在の様に高度な医療技術がなかった約百年前の胃癌患者は、その時代に可能だった対処療法を受けるのみで放置されていた。これに対して現代では大半の癌患者が様々な方法で治療されている。しかし、「百年前の放置された末期癌患者の方が現在の治療患者群よりも長期間生存していた」ことを示す驚くべき論文が一流の国際誌に掲載されている。しかし、忙しい日本の医療現場では情報を俯瞰的に網羅することが困難であり、この様な情報は“公然の秘密”と無視されている。現代の治療患者の生存期間が昔の放置群よりも短い理由の一つに“がんもどき患者”に対する過剰治療が考えられる。近藤氏はこれらの事実を根拠に「癌放置療法」と云う“古くて新しい対処療法”を提唱している。    
   正常細胞と癌細胞の生存原理は基本的に同じであり、猛毒の抗癌剤の殺細胞作用は基本的に癌細胞と正常細胞を区別しない。抗癌剤にはDNAを標的とする薬が多いが、その主要なターゲットは核DNAよりもミトコンドリアDNAである。消化管、腎臓、心臓、神経系などの細胞は酸素やミトコンドリアが不可欠であるが、癌細胞はこれらが無くても生きていける。この為に大半の抗癌剤は癌細胞よりも正常細胞を強く障害する。これが抗癌剤の副作用の本体であり、良く効く抗癌剤は副作用も強いのである。副作用が少ない事をうたい文句にしている抗癌剤の多くは殺癌作用も弱い。この為、抗癌剤治療を受けている患者のQOLは癌による組織障害と副作用のバランスにより決定される。この様な副作用を克服する目的で“分子標的薬”と呼ばれる抗癌剤が開発されつつある。その中でも価格が日本の保険医療制度を崩壊させ兼ねないとのことで問題視されている免疫チェックポイント阻害薬のオプチーボでは“副作用が少ない事”が強調されている。しかし、保険適用となる肺癌患者での有効性は10名中1~2名であり、高額な割にはその延命効果が期待されているよりも遥かに短い。しかも、本薬の日本での価格は米国の2倍、英国の5倍もになっているが、欧米ではコストに見合う効果があるか否かの観点から保険適応は大きく限られている。今後、日本でも本薬の使用例が増えるにつれて真の実力が明らかにされるであろう。
   学生時代に私の恩師が“過去50年の癌治療史は敗北の歴史である”と述べられた。それから半世紀が経過した現在、私は“過去100年の癌治療史は敗北の歴史だった”との想いを強くしている。因みに、国立大学某医学部で癌診療に携わっている371名の現役医師に対して“白血病などの特別なガン以外で自分が固形癌に罹患した場合、現在の抗癌剤を使いしますか?”とのアンケート調査が行なわれたが、これに対して370名が“希望する患者には使うが、自分に対しては使いたくない”と答えている。その主な理由は、スタンダード治療を提供されなかった患者が司法に訴えれば医療側が敗訴するが、医師が自己責任で行うのは問題にならないからである。大半の医師は抗癌剤の毒性の本質的問題を経験的に知っているが、他に治療法がない為に制度上使わざるを得ないのである
   ヒトは自分に不都合なモノを異物などと見なしたい生き物でる。癌細胞はその代表的な存在であり、それ故に異物を排除する免疫力に縋る気持ちが強くなるのは人情である。しかし、正常細胞ろ加齢に伴い生じる癌細胞の構造や生存機能は圧倒的に類似しておりり、両者の差異は誤差の範囲に過ぎない。歳を取ると老化した顔にシワが増えて体型も変化するが、それらは紛れもなく己の身体である様に、癌細胞も老いた自己の一部である。この点で免疫力に期待する分子標的治療法にも根本的限界があると思われる。正常細胞も非特異的に障害する猛毒物を“抗癌剤”と命名したこと自体が癌化学療法の自爆的アキレス腱となっている。
   今後、患者のQOLを中心に癌治療を科学的に考えることにより大きなパラダイムシフトが起こると思われる。自己の一部でもある癌細胞を選択的に排除することは老化を阻止する事と同様に困難である。癌癌治療の夜明けは未だ遥か彼方であり、癌細胞を自己と受け止めて旅立てる死生観を育成する事が大切と思われる。

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